My太陽星座 うお座
まずはやっぱりベタに太陽星座から。
私の太陽星座はうお座。23.44度。サビアンシンボルは『精神主義的な現象』。
サビアンシンボルについてはただいま勉強中。なにせ365度すべてに意味があるんだもん。果てしない。でもそのキーワードを元に読み取っていくことの面白さはたまらないんです。
そしていろいろなテキストを読むたびに、涙がでそうなくらい自分自身の魂に近づける、そんな気がします。
太陽星座はいわゆる「今日の星占い」とかで自分の星座にあたる場所。
自分が地球に生まれたときに太陽が位置していた場所、ということで12室の第1室にはこの星座が入るわけです。
基本的な自分の生き方やキャラクターはこの星座に象徴されるわけなんですが、ホロスコープを惑星の年齢域で読むと、太陽星座は26歳~35歳に位置します。大人として、社会にも出て自分の意志と責任でいろんなことを決めるようになってくる年齢、外側に見せる(見えてる)キャラクター(個性)が当てはまるのかなと思います。
私は小学生の頃から占いに興味を持ち始めてホロスコープを読み始めたのですが、自分の太陽星座である「うお座」のイメージがすこぶる嫌でした。
「やわらかくて優柔不断。ふわふわしてかわいらしい」
なんともまぁ、頼りない感じがしてたまらなかったんですね。
私は子供のころからフリフリのレースよりもカチッとしたスタイリッシュなかっこいい恰好が好きでした。
かわいらしさよりもカッコよさ。
おしゃれよりも機能的に動きやすい恰好を好んでいました。
みんなに愛されキャラとされるよりも自立した論理的でしっかりした女性になりたいと思ってたんです。
なのにどこを読んでもうお座ってなんかちょっと「女々しく」てこんな人にはなりたくないなぁ…(涙)という感じがしてました。
でも。
大人になってきちんとホロスコープを読むようになってうお座の神話や位置付け、役割、そんなものを学んで目から鱗。「あ。私。根っからのうお座だわ」と納得できました。
12星座の最後に位置するうお座には境界線がありません。
すべてが同じ。すべてがつながっていることを無意識に信じているのがうお座。
キーワードは「I believe」
私は信じる。
信じるということを無意識にしているからこそ、境界線に守られずに生きられる。
ただ私自身は境界線に気付くことさえできないと思っていて、本当に自分は「空気が読めない」子だと自己嫌悪に陥ることがすごく多かった。
社会に出て「上司と部下」や「他人」、そういう位置関係がわからなくて知らない間に憶病になってました。
怖かったんですね。
自分が知らない間に越えてはいけない領域に足を踏み入れてしまったがために、人に嫌悪されるという経験が多かったから、無意識にフィルターをかける癖がついていました。
肩書のついた人には極力関わらない、とか(笑)
違うんだ。
私には境界線がなくてよかったんだ!!
っていうか境界線なんて自分で作ってるだけで本当はないんだ!!
そう気付いて初めて自分自身を受け入れられたような気がします。
これはまた改めて月星座でも触れていきたいと思いますが、こうなるには月星座の影響も随分とあったようです。
私の月星座は獅子座。22.35度 サビアンシンボルは「伝書鳩」
獅子座のプライドがそうさせてたのかもしれません。
ホロスコープを読んでいるとそういった自分のパーソナリティがどんどん浮き彫りになってきてすごく興味深いです。
「自分」がわかれば「生き方」も変わります。
自分のあるべき姿を求めるようになって、初めて「生きている実感」が味わえます。
そしてこうして文字に落としていくとまだまだ勉強不足だなぁ、けど知らない知識をえることがとても楽しくて、自分の思っていた解釈が間違ってると気づいてもそれさえ嬉しくなります。
ブログの一番最初の記事「自由に」はそんな私の挑戦の一部なのかもしれません。
海の中でしか生きられない魚ですが、うお座は陸にも上がれます(笑)
なんてたってアフロディテとエロスですから。
愛に満ち満ちて様々に姿形をかえて七つの海を泳ぎ回るんです。
いつかそんなふうにたくさんの思いを海を越えて伝えていきたい。
そういう願いが沸々と湧き上がってきました。
ホロスコープで自己分析 (はじめに)
西洋占星術、いわゆる星占いに出逢ったのは小学生の頃だったと思う。
その当時まだインターネットなんかは普及していなかったし、本屋さんで大型のムック本を買ってもらい、自分でコンパスと分度器でホロスコープを作成した。
星の運行表は本についていたのをそのまま利用。
自分で読んだリーディング結果をそのままワープロ(…だったと思う)でせっせと作成。
自分なりに自分の自己分析をして満足していたように思う。
でも中学生になって「今日のラッキーアイテム」とか「今日の星座ランキング」とかに振り回され、いつしか本当に理解すべき「星読み」から離れ、挙句の果てに「おんなじ星座の人がおんなじ結果なんておかしいよね」なんていう、ちゃんと理解してればありえない理由をつけて星占いからは遠ざかってしまった。
そんな私が再びホロスコープに興味をもったのは2014年の暮れ。
再び自分のホロスコープを読み始めるところから始め、各惑星や各室の意味なんかも一生懸命勉強し始めると、やっぱり古来から受け継がれてるには理由があるんだなーと感動さえ覚えるようになった。
もともと書くのは好き。分析するのも好き(ただし数字が絡むとまったく理解できなくなる)。空を眺めるのはもっと好き!!
ならブログ初めに自分のホロスコープを徹底的に読んでみようじゃないかと思ったわけです。
ということで。
少しずつ。勉強がてら惑星ごとに読んでみて、必要であれば振り返って訂正。
そんなホロスコープリーディングトライアルを始めてみたいと思います!!
あくまでも独学の解釈です。間違ってることも多々あるかも。
しかも直感とイメージだけで読んでるところもある。
見苦しいものもあるかなと思いますが、優しくおおらかな気持ちでお付き合いいただければと思います。
それでは。
少しずつ。日々UPしていきますね!!
自由に
本当の自分はどこに居るのかと思った。
私は『私』であって、他の誰でもないわけだけど、ずっとずっと自問自答しているとふと、私であって私ではないような私に出会うときがある。
違和感を覚えないわけではないけど、それもまた『私』であることを認めると、新しい自分に出会ったような、不思議な気持ちになった。
弱くて幼くて、我が儘で恐がりな。
そんな私も私。
抱きしめたときにポロリと涙がこぼれた。
『見つけてくれてありがとう』
とてもとても深い海の底。
真っ暗で音もない、けれど優しい場所にもう一人の私はいる。
熟練された素潜りの達人か、深海探査の潜水艦を持ってる人にしか私を見つけることは多分ないと思う。
1度だけ、私を見つけて光の場所まで連れて行ってくれた人がいた。
怖くて潜ってしまう私を笑いながら、何度も手を繋いで浮上していくあの不思議な感覚。
暗くて静かで温かい海の底で、波に揺られてたゆたう事は、ある意味守られていた優しい世界だった。
光あふれる陸地は、キラキラして眩しくてイキイキとしているけれど、自分で息をして大地を踏みしめて歩かなければいけない。
けれど人はそうして生きているのだ。
彼は言う。
海は全ての海に繋がっている。
あなたは自分の意思で、好きな海に泳ぎ出ればいいんだよ。と。
そしてその二本の足で、大地を歩くことも出来るんだよ?
自由に生きてごらん。
生きることを楽しみなさい。
そして今私はここに居る。
可能性も、使命感もなにもわからないけれど、とにかく楽しく生きるということを実践してみようと思う。
新しいチャレンジ。
始まりはやっぱり混沌としている。